剃り残し

相変わらずブタはブレイク中で、タイでも流行に敏感な人が登場したということだ。
今は夏真っ盛りで、夏休みが終わった学校はやっと前期(タイは前後期の2学期制だ)が始まったところ。
インフルエンザが流行するような気候ではない筈だ…
が、どうなることか。


という流行とは関係なく、今日もブタのことを引き続き思い出すことにする。


私がいた学校では、だいたい月に一度程度の割合で、校内の霊を鎮めるためにお供え物をする。
地鎮祭みたいなもの。
学校の中に住んでいる―つまり私の隣人でもある―用務員のクワン(40代半ばのおっさん)が霊媒師の役をする。
彼には地霊(タイ語では「ピー」と呼ぶ)が見えるらしい。
日頃は寡黙なただのおっさんだが。


ここに、地霊へのお供え物を。


校舎の脇にある給水塔。
その下にゴザを敷いて、地霊にお供えものをする。
儀式中に不用意に近づくと「飲め」と言われて、焼酎をお猪口一杯、飲まされてしまうので、困る。


お供えは大体、次のようなメニュー。

  • 密造酒(近所の村で売っている。農家の端っこで蒸留した焼酎)
  • 鶏の姿煮(1匹か2匹)
  • ブタの顔面


儀式が何となく終わると、お供え物を食べ始める。
帰りがけの先生たちが校庭の端っこに置かれたテーブルで。
体育の先生なんかが、鉈みたいな包丁で鶏を小さく切り分けていく。
誰かがビールを買ってきていれば、それも飲む。
おばさん先生たちが若干白い目で我々を見るが、おっさんたちは気にしない。


時間はおおよそ5時。
校庭にはサッカーをする若者、校内でジョギングするおじさん、巡回に来たお巡りさん、彼らの目前で、おっさんたちは酒を食らう。
ジョギングする知り合いを見付けると呼び止めて一杯飲ませたりもする。


鶏肉は、姿煮にしただけの淡泊なもので、いつもの唐辛子+レモン+生姜+ナンプラーのタレを付けて食す。


問題はブタの顔面、もしくはブタの頭部。
こいつは、脂っこくて、臭い。
面の皮とそれに付随する脂身を食べているのだから、しかたない。
鶏を食べるのと同じタレにつけて、臭みをごまかしながら食べる。
それでも多少の臭みを我慢すれば、十分に美味。
面の皮の歯ごたえとコッテリした皮下脂肪で、すぐに腹が一杯になる。


ただ少しばかり問題もある。
それは下ごしらえが若干粗雑なことに由来するらしい。
面の皮を食べていると、しばしば剃りり残しの体毛が残っているのだ。


「おっさんの首筋に残る、剃り残しのヒゲ」と同様のもの。
口内にしばしば感じられる独特の感触。


市場のブタ肉コーナーには、必ずブタの顔面が置かれている。
例外なく彼らはヒゲを綺麗に剃り上げられている。
それを見るたび、逆に私は口内で感じた剃り残しのヒゲの感触を思いだす。
ヒゲの濃い男と付き合っていた娘の気分って、こういうものなのだろうか、と思ったりしながら。

豚の生肉は郷土の味

豚に罪はないが、とにかく豚がブレイクしている。


タイは鶏インフルエンザの時も、メディア上では大騒ぎだったらしい。タイは鶏肉の輸出国だから。
今回は豚に主人公が変わったが、やっぱりそれなりに騒がれているらしい。


政府が焦るのもわかる。
農業大国の田舎は家畜だらけなので、確かに彼らがインフルエンザになれば大変。
田舎の国道を走っていると、道ばたに鶏がうろつき、草むらでは鼻先をヒモでくくられた水牛が草をはむ。
豚は豚小屋の中に閉じこめられているけれど、時々「ドナドナ」状態でトラックの荷台に積まれた彼らの姿を見る。


私が住んでいたような田舎の場合、ドナドナたちは肉屋さんの裏庭で肉になる。
肉屋はあちこちにあるのだが、牛は牛専門、豚は豚専門と店ごとに分かれている。
市場で売られているのも、その日につぶしたばかりの肉。


タイ北部では生肉を食べる。
魚、牛肉、豚肉は生食可。
なぜか鶏肉や鶏卵は生食に適さないとされる。
彼らは「卵かけご飯!? 気持ち悪いなぁ」と言う。


生肉に唐辛子やニンニクなどをたっぷり入れてタタキにしたものを「ラープ」、タタキにせず、刺身にしたものと内臓の液(多分胆液)などでマリネ風にしたものを「サー」という。
ラープは魚も豚も牛もあり、生だけでなく火を通してそぼろ風にしたものも美味い。


しかしさらに豚の場合、生血に生肝などを混ぜ込んで食べる。現地の言葉で「ルー」という。
「ルー」の血の部分

「ルー」に入れる、肝の刺身


ウィキペディアに単独の項目はなかった。
グーグルで検索してみると、次のような記事が最初に出た。(原文タイ語 →リンク


豚の生肉から作るラープやルーは、豚の血を混ぜあわせたりもする北部の郷土の味だ。
しかしこの手の料理は食べる人に、おもわぬ被害を与えることがある。雨期などに多く見られる「豚レンサ球菌(Streptococcus suis)」を持っていることがあるからだ。


私の周りの人も、この手の生肉を食べる人と食べない人に分かれていた。
健康に気を遣うタイプの人は「危ないから食うな」という。
でも、おっさんたちは盛んに「生肉を食おう」と私を誘う。
こちらは大体「酒を飲もう」という誘いと同義語。
だからおばさんたちはいやがるのかもしれない。


ウィキペディアの「ラープ」の項目の英語版の中には次のように書いてある。


ラープの一種に、生の牛肉のミンチと血、胆汁、スパイスを混ぜ合せたルーがある。
ルーは通常野菜と一緒に食し、しばしばビールや「ラオカオ」とよばれる密造酒と一緒に出される。
(There is a kind of larb called lu, which made of minced raw beef mixed with blood, bile and spices. Lu is usually eaten with vegetables and often served with beer or the local moonshine called lao khao.)


私が食べたのは主に豚のルーだったが、状況は同じだ。
ウイスキーの水割りの時もあったが、とにかく酒と生肉はセット。
酒が消毒してくれるから大丈夫、というのがおっさんの意見。
私も多少腹を壊すことはあっても、それ以上の被害を被ることはなかったから、多分、正しいのだと思うことにしている。


文中にも引用したが、「ラープ」についてはウィキペディアに項目がある。 →リンク
しかしなぜかタイ語と英語で内容が違う。
英語版では「Larb is a type of Lao meat salad. (略) Larb is the unofficial national dish of Laos and it is also popular in Northeastern Thailand, where the cuisine is heavily influenced by Laos. It is quite common to see this popular Lao meat salad served at Thai restaurants.」とあり、ラオス料理だということになっている。
一方、タイ語版では「イサーン(東北部)や北部(ラオスを含む)の郷土料理」と書かれていて、ラオスはカッコに入れられてしまっている。
このあたりの正当争いには微妙なところがあるらしい。
ちなみに私が住んでいた地域のラープは「地場のスパイスを使っていて激辛」と説明されている。

争乱の外

せっかくだが、時事ネタは書けない。


テレビのニュース番組では、タイの赤シャツ軍団の大活躍を見ることもなくなった。新聞も同様。
こうなってくると、タイの日本語新聞のサイトやタイの新聞のサイトを見ないと、ニュースは入ってこなくなる。
いずれにせよ、どのくらい緊迫しているのかは、よくわからない。


でも仮に今、タイに居たとしても、状況は変らなかったと思う。


前回のクーデターの時。2006年9月20日の朝。
いつものように7時起床、パソコンを起動、ネットに接続。
そのとき初めて気が付いた。


へぇ、クーデターが起こったんだ・・・


さっそくテレビをつけてみると、全チャンネルが同じ。
そのころは何を言ってるのか、分からなかった。
私の家は学校の中にあるので、外に出てみるが、まだ生徒の来る時間じゃない。
いつものようにご飯を食べに、学校の食堂に行く。
食堂のおばさん達は、出勤している。
でも、食券を売ってるおネエさん(ちょっとだけ美人)は「今日はね、学校あるかどうか、わかんないのよねぇ。今、先生に聞きに言ってるのよ」という。


今なら飯は食えると、大急ぎでいつものように鶏の唐揚げをご飯の上に載せたものを食す。
朝の食堂は麺類=ラーメン・ビーフン、後はご飯の上に、ゆで鶏・唐揚げ・鶏カツ、を載せたものだけしかない。
食堂のおばちゃんが問答無用で甘いタレをかけてしまうが、個人的には甘いままだとイマイチ。
ニンニク、生姜、レモン、パクチーナンプラーお酢、砂糖、生唐辛子(赤、緑)を混ぜあわせて作ったソースをかけて食べるのが好きだった。
本当は、このタレは鶏カツのための物だと思うが、実際の所、何にかけても美味い。
その日のタレの辛さによって粉末唐辛子をトッピングする事も、忘れてはいけない。


結局、クーデターの日だけ、学校は休みになった。
翌日からは平常授業。


田舎の学校の近くには、タイ全土を制圧している筈の軍隊はいなかった。
先生たちも「今回のクーデターは静かだな」と悠長なことを言っている。
さすが、定期的にクーデターが起きる場所に住んでいる人たちだ。


私が感じたクーデターの影と言えば、家から25キロ離れた市内にあるコヨーテバー(詳細はそのうち出てくる予定)の閉店時間が、軍政府の指導で早くなったことぐらい、だったような気がする。


だから今もそんな感じなんだろうと思う。


食堂の朝食メニューのひとつ「鶏肉載せご飯=カウマンカイ(もしくはカオマンカイ)」については、ウィキペディアをどうぞ。 →リンク
ちなみに2006年9月のクーデターについては、こちら。 →リンク

My Pen Writes

店主から「タイでの生活について書け」との命令。
ということで、4年間のタイでの生活について、少しずつ書きます。
よろしく。

私が住んでいたのは、タイの北部、ナーン県。
首都バンコクからは大体600キロ、夜行バスで一晩。
関西空港からバンコクまで直行便で6時間。
バンコクの空港から北部行きバスターミナルまで1時間。
当時の私にとっては、バンコクの方が日本よりも遠かった。

ナーンは山の中。
山から流れ出た小さな川が集まり「ナーン川」になる。
ナーン川は南に下っていきやがてチャオプラヤ川となる。
バンコクから遠いだけでなく、掛け値なしの田舎だった。

このナーン川の近くにある学校で、私は現地の中学生や高校生に日本語を教えていた。

ということなのだが、なにぶん最初なのでタイトルについて説明しておく。
店主にはタイ語のタイトルを考えろ、と言われたのだが「My Pen Writes」。
なぜ?

これは私が考えた下手な語呂合わせだ。
日本でも有名なタイ語のフレーズ、マイペンライ
「大丈夫・気にしないで・結構です」とかいう意味。
マイペンライ=My Pen Writes……たぶんタイ人ネイティブには通じないと思う。

これにはいちおう由来がある。
ある日の夕方、友人がやってきて「ノルウェー人の友達が来てるから、一緒に飯を食いに行こう」という。
もしかしたらデンマーク人だったかもしれないが、とにかく北ヨーロッパの紳士だった。
彼は、退職後、医者の勧めで、定期的に避寒のためにタイにやってくるのだという。
いかにも上品そうな奥さんも一緒に。

今年53歳になる筈の私の友人が、この紳士とどこで知り合いになったのかは知らない。
家に迎えにきた友人のハイエースに乗り込み、彼らが宿泊している市内のホテルに向かった。
友人はタイ人の中でも時間にルーズな方だったので、30キロ離れた市内に向かう道の半ばで、すでに約束の時間を過ぎていた。

田舎といえど、市内にはいくつかホテルがある。
紳士が宿泊するホテルに行き、老夫婦をひろい、我々は川沿いのレストランに行った。
確か名前は「リバーサイド」。
その名の通り川沿いにある店には、小さなステージがある。
定刻になるとフォークギターを持った近所の兄ちゃんがやって来て、演歌っぽいフォークソングを歌う。
こういうレストランは多い。
老若男女を問わず、タイの人は呆れるほど歌好き。

紳士は辛い物が苦手だというが、このレストランには辛くない料理もある。
氷を入れたビールを飲みながら、焼き飯、タイ風春雨サラダ、トムヤムスープ、魚のフライなど。
最初に「辛くしないでくれ」と言えば、手加減してくれる。
それでも生唐辛子を噛んでしまうと辛い。
白身魚のフライには、レモン、ナンプラーパクチー、赤と青の生唐辛子、生姜、ピーナッツなどをミックスしたソースがかかっている。
魚はナーン川でとれたもの。

食卓の共通語はたどたどしい英語。
紳士は「私はこの5年の間、何度もタイに来ているのに、全然タイ語が覚えられないんだよ、もう年なのかな、あれなんだっけ、Never Mindっていう意味の………ああ、そうマイペンライ。何度聞いても覚えられないんだよ。なんかいい覚え方ないかなぁ」と、こぼす。
私もすっかり記憶力が落ちているので、その気持ちは痛い程よくわかるのだ。
そこで考えたのが「My Pen Writes」。
下手な語呂合わせ。

その後の老紳士の事は知らない。

ナーン県に関するウィキペディアの説明は以下の通り。→リンク