時計屋がセコンドになる時

ついでだからムエタイの事を書いておく。


近所にムエタイのジムはなかったが、時々、興行がやってくる。
試合会場は学校の体育館。
私は学校の敷地内に住んでいたので、家の庭で試合をしてくれるようなものだ。


100バーツ(300円くらい)のチケットは校長がくれた。
興行主がくれたリングサイド、最前列の席。スペシャルリングサイドチケットだ。


8時くらいに試合はスタート。
最初は子供の試合。多分小学校低学年。
まだガキだが、試合前の踊りは大人と同じ。
あの踊りは「ワイ・クルー」という。
「ワイ=拝む」「クルー=師匠」、つまり自分を育ててくれた師匠への感謝を示す踊りなのだという。
ガキがそれを理解しているかはしらないが、格好はついている。


本来、ムエタイの試合中は音楽がずっと生演奏されるものだが、地方興行では、CDで代用されていた。
しかし蛇使いのような音楽の暑苦しさは同じ。


2試合目は女の子の試合。大人じゃなくて中学生くらいだった。
1回の興行で1試合か2試合は女子の試合があって、勿論可愛い方の選手を中心に応援するが、私が応援する方は大概負けた。
ルールで決められているのか、テコンドーの試合でつけるような防具を付けていた。


それから後は男だらけ。
ひじ打ちOKのムエタイルール。
10代半ばのガキから大人の試合へと、だんだん移っていく。
ムエタイの試合はKOで決まる試合が少なく、ねちっこい試合が多い。
よっぽど好きな人以外は、途中で飽きる。
私も好きな方だが、だんだん眠たくなってきた。


しかし、客は熱狂しまくっている。
周りを見渡すと、商店街の時計屋のおっさんがいた。
彼の奥さんは美人だが、彼はちょっと痩せたサモ・ハン・キンポーだ。
おっさんは、周りの面々と比べても特別だ。
熱狂的ムエタイファンなのかと思ったら、札束を握りしめている。どうやら賭けているらしい。
試合が終わる度に、小銭(多分100バーツとか50バーツとか)を胴元の爺さんに渡す。


大した金額ではなくても、金は人を変える。
時計屋のおっさんは、試合ごとに目の色を変えていった。
そのうちラウンドの間には選手のそばまで行って「落ち着いていけ!!!」とか言い始めた。
熱い。


当たり前のことだが、試合は誰かが勝ったり、誰かが負けたりしながら続いていく。
今日初めて名前を聞いた東北部の県や遠く南部地方からやってきた選手たちを眺める私にとって、勝敗
は試合終了以上の意味を持たない。
私は眠い目をこすりながら、ぼんやりおっさんを眺めていた。


最後の試合は、熱戦だった。
クリンチで間合いを殺し合うことなく、距離をおいて打ち合う時間が長い。
目が覚めた。
時計屋のおっさんは試合中も席から立ち上がり、リングの周りを終始うろうろするようになった。
声は一層大きい。


この試合は、おっさんにとっても大勝負なのだ。


3ラウンド目終了のゴング。
残り2ラウンド。試合は少しずつ膠着してきた。


あ、と思ったとき、すでに時計屋のおっさんはリングの上だった。
選手をマッサージしていた。
鋭い声で檄を飛ばし、強く肩を叩く。
最初から付き添っていたセコンドのように。


次のラウンドはそのまま始まり、おっさんはセコンドの中に混じってしまった。
とても、とても自然に。


4ラウンド。
打ち合いが、また始まった。
おっさんのマッシュルーム型の髪はびしょ濡れになっている。
確かに暑い。
だんだん、おっさんの目が赤くなってきた。
泣いていた。


5ラウンド。
2人とも最後まで打ち合い続けた。
最終ラウンド終了まで、セコンドのおっさんは、枯れた声で何かを叫び続ける。


ゴング。
試合終了。


判定。


レフェリーがリングサイドのジャッジのポイントを確認する。
流れ続けていた音楽が消えて、場内は少し静かになった。


レフェリーは2人の選手を脇に立たせ、その手をとる。
そして無言のまま、あっさりと片方の手をあげる。


時計屋のおっさんが吠えた。
そして、その日初めて会った筈の隣のセコンドたちと抱き合った。
疲れ切った様子のボクサーに近づき、彼を高く抱き上げたおっさんは、もう一度、大きな声で吠えた。


客は次々と帰っていった。
3人が密着して乗るバイク、荷台に数人の人を乗せたピックアップトラック
30分もしないうちに誰もいなくなった。
あたりはゴミだらけだが、片づけは明日するらしい。
そのとき時刻は、夜中12時過ぎ。


静かになった校内を、サンダルをぺたぺたと鳴らしながら、家に帰った。
そして、テレビはつけずに、そのまま寝た。
部屋の中は暑かった。